*** Miletary & Mecanix Mk.II***
このサイトは専門的なMiletary関連の
最新記事をおもしろくてためになるを
モットーに 一般の方にも分かり易く
発信しています
ぜひご覧ください   大和タケル

Miletary & Mecanix Mk.II

☆WW2終戦後の8月18日に占守島で
叩きのめされた旧ソ連軍/ロシア軍
 

今回は特別に 北方領土に関する戦史を扱います
日本の千島列島や北方四島などの地域は
激戦の末に旧ソ連軍に圧倒されたものではなく 
あくまで8月15日以降の日本軍の敗戦を待った上で
掠め取られた 曰く訳在りの土地なわけです
 
当時の状況を端的に語るケースとして8月18日に
カムチャッカ方面にて展開された堤中将麾下の
第91師団の占守島での戦いぶりを載せておきます
 
占守島の戦い
占守島,WW2,カムチャッカ,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦,戦車,戦車戦,チハ,97式戦車,
占守/しむしゅ島とは、千島列島の東端にある島です
ここには国境の守りとして第91師団が駐屯して
戦闘がなかったために比較的豊富な武器と
弾薬が温存されていました
 
航空戦力はたった8機でほとんど旧式機でしたが
これが後に大きな威力を発揮します
 
この占守島の戦いは8月18日から発生していますが
8月17日から 予兆が次々とおきていました
 
しかし守備隊には強い警戒感がありませんでした
戦後の我々だけでなく 当時の最前線の将兵らも
終戦によって戦いは終わったという意識が見られます
 
では1945年8月の三日間の戦いを見てみましょう
(※正確には旧ソ連軍ですが 煩雑なので以後は
ロシア軍と書きます) 
 
怪しげな動きをする陣営現る
占守島,WW2,カムチャッカ,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦,戦車,戦車戦,チハ,97式戦車 ,
8月17日に国籍が不明な勢力による
砲爆撃がはじまり 多数の舟艇が目撃される
しかし 日本側は終戦後の攻撃は無いという
認識をもっていたため 一応の警戒命令を
出しただけであった
 
 
虚を突かれた攻撃
8月18日午前2時頃 ロシア軍先遣隊の上陸が
支援砲撃下で開始される
海岸守備には日本軍独立歩兵第282大隊と
国端岬の砲兵陣地には野砲1門、特殊臼砲1門、
速射砲1門が配備されていたが直ちに反撃を開始した

 占守島,WW2,カムチャッカ,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦,戦車,戦車戦,チハ,97式戦車 ,
奮戦した38式野砲/陸自所有
 
午前3時頃よりロシア側の後続部隊の上陸が続いたが
日本側の砲撃により上陸用舟艇だけで13隻もが
沈められたロシア軍は緒戦において 重火器と
司令部付スタッフの多くを失ってしまう結果となる
 
占守島の民間人を守れ
占守島,WW2,カムチャッカ,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦,戦車,戦車戦,チハ,97式戦車 ,
敵はロシアと判明したが 幌筵島/ぱらむしるに
あった第91師団司令部では終戦後のこともあって
和戦論議の混乱があった
 
ここで奇跡的といわれたキスカ島撤退でも
英断を下した 第5方面軍司令官の樋口季一郎
中将の"断固撃退すべし" という断に加えて
堤師団司令の "占守島にいる1200名の国民を
守り抜かねばならない そのために軍が在る" 
とする方針の基にロシア撃退の令が飛んだ

 占守島,WW2,カムチャッカ,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦,戦車,戦車戦,チハ,97式戦車 ,
直ちに 四嶺山の南側に陣どっていた重砲隊の
15サンチ加濃砲と10サンチ加濃砲が猛然と火を噴き 
新砲塔のチハ/20両を含んだ戦車第11連隊40両も
ロシア上陸地点の国端岬へ向け突進を始めた
 
四嶺山の戦闘
占守島,WW2,カムチャッカ,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦,戦車,戦車戦,チハ,97式戦車 ,
第11連隊は国端岬への途中にある四嶺山に
おいてロシア軍と激しくぶつかった
北斜面等から進攻してくる敵に突撃を敢行して
約2時間の戦闘で撃退に成功する
敵軍は100名以上の死体を残し竹田浜へ退却した
 
 占守島,WW2,カムチャッカ,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦,戦車,戦車戦,チハ,97式戦車 ,
戦車第11連隊 士魂碑
愛知県幡豆郡三ヶ根山・比島観音霊場
 
一方で連隊側も この一戦にて戦力の7割に
当たる27両と連隊長以下96名を失った
 
日露で大きく分かれる空爆による損害評価
 占守島,WW2,カムチャッカ,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦,戦車,戦車戦,チハ,97式戦車 ,
WW2最後の航空攻撃となる占守島での空爆は
日本側は多大な戦果在りとしているのに対して 
ロシア側はほとんど戦果無しと大きく異なっている
 
参加部隊は第54戦隊の一式戦4機と北東空の
九七艦攻4機の計8機となっている
 
少なめの戦果
輸送船に直撃弾1発・掃海艇1隻撃沈
九七艦攻1機損失となっている
 
大目の戦果
占守島,WW2,カムチャッカ,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦,戦車,戦車戦,チハ,97式戦車 ,
第54戦隊の一式戦 垂直尾翼に折鶴の部隊マーク


この他にも 当時を知る黒田海軍少尉によれば
"最初に撃墜されたのは荒谷飛行兵曹で
その後の空爆で 海防艦2(一隻は指揮官搭乗艦)
中型輸送艦1を撃沈 輸送艦3に損傷を与えた"
という証言もある
 
 少し過大にも思えるが 露軍側は上陸時だけで
参加艦船54隻の内 上陸用舟艇13隻、輸送船3隻の
計16隻を撃沈又は損傷を受け 緒戦で約3割を失った
という記述もあるので国端岬の砲撃と九七艦攻等の空爆は
併せてロシア軍に多大な損害を与えたことは間違いない
 
ここまで 島をめぐる戦いの半ばまでみてきました
この島嶼戦闘はロシア側が大量に物資を
運びいれる前に叩けたことが大きいと思われます






砲撃戦でも勝利
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
四嶺山の戦闘で奮戦した戦車第11連隊の
支援を受けて歩兵独歩第283大隊は
大きな損害を出しつつも国端岬に近い要衝を
奪回し第73旅団主力らの再結集を果たした
 
ロシア側の上陸作戦に対して 大きな打撃を
与えたのが四嶺山南に布陣していた重砲兵隊であった
 
今度は その奪回地点にロシア側の重火砲
(おそらくA19など)4門の集中砲撃がロパトカ岬より
行われたが第283大隊の96式15サンチ加濃砲が
1対4の砲撃戦を制して 敵側の全火砲陣地を
潰していった(この砲撃戦はもっと時間的に早い
つまりロシアの上陸中に行われたとする説もある)
 
敵軍を追い落とせる位置に占位したが・・
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
ここに於いて四嶺山の東南から戦車第11連隊の
残余と歩兵第73旅団の主力部隊が海岸へ向けて
前進を続け、その左翼から歩兵第74旅団が
ロシア軍を包みこんでいった
 
更に第74旅団の残りの部隊も幌筵島から
移動を完了しており このまま戦闘を続ければ 
上陸してきたロシア兵を海中に叩き落とせる
有利な状況となっていた 
 
しかし ここにきて方面軍からも停戦命令が下され 
明けて19日からは 両軍停戦交渉が開始された
 もっとも19日までには民間のトロール船等を用いて
占守島の島民らの退避は完了していたのである
 
この戦いは日本側の断固たる決断が早かったことと
もう一つ重要な点が島に良い火器が残っていた点が
挙げられます
 
帝国陸軍の新鋭兵器が揃っていた
この占守島の戦いでは南方戦線とは逆に
日本側の重火器が敵を上回る活躍を見せました
皮肉にも 最後の戦いに精鋭兵器が揃っていたわけです 
それは 蝋燭が消える前に強く瞬くのにも似ている
帝国陸軍が燃え尽きる一瞬だけ見せた 輝きにも思えます 
 
新砲塔チハ
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
それまでの直協主眼の57mmに代えて
高初速の一式47mm砲を搭載した型です
フィリピン戦線では投入緒戦でM3戦車3両を
撃破しています M4までの僅かの間でしたが
優勢にたつことが出来ました
 
優秀だった96式15サンチ加濃砲
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
ロパトカ岬に陣取るロシア軍の重砲4門を
たった1門で迎え撃ち 制圧したのも高性能を
謳われた96式15サンチ加濃砲でした
 
この砲は射程26kmを誇る長距離砲で錬度の高い
砲兵の射撃精度とあいまって 霧中で行われた
といわれる砲撃戦でロシア砲陣地を圧倒しました
 
秘匿兵器だった九八式臼砲
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
更にロシアの上陸直後に非常に強力な火砲が
打ち込まれていたという説があります
それは九八式臼砲と呼ばれる日本が独自開発した
珍しい方式の火砲で砲弾を差し込んで発射する
迫撃砲の一種です
 
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
驚くべきはその砲弾の大きさで直径30cm 
300kgもあって 最大で1.1kmも飛ばせました
その破壊力と爆裂音は一種の心理兵器としての
効果まであったといわれています
(ドイツ軍のブルームベアの大きな搭載砲が15cmなので
 倍の30cm がいかに巨大かわかると思います
ロケット兵器にも見えますが打ち出し式であって
推進はしません)
 
これらの装備の他にも 速射砲や高射砲も装備しており
さらに弾薬も残っていたことが大いに幸いしました
 
 データが示す我彼の結果
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
 戦記の考証のために両軍の死傷者数を載せておきます
 
計りすまして襲ってきた旧ソ連/ロシア軍、総員8824名
戦死数516名 負傷行方不明1051名
 
もう戦闘は無いと思っていた日本守備隊、総員8480名
戦死数256名 負傷行方不明762名
 
勝った勝ったと喚いているロシアの戦死者数は日本の2倍です
まぁ これがロシアクオリティってやつでしょう
 
一方 北方四島で戦闘が起きなかったのは日本に
領土としての認識が薄かったなどと妄言を吐く者もいますが
国後と色丹などにロシアが上陸したのは9月1日以降
もう完全に武装闘争に終止符が打たれた後であり
ために無抵抗な引渡しが行われたとみるべきでしょう
 
北千島方面だけでなく ソ連/ロシア国境での悲劇は
これだけではありません いくつか挙げておきます
 
後味の悪い結末
 関東軍士官候補生特攻
突如 満州に進攻してきたロシアに対して 
重火器類の多くを南方に移していた関東軍は
士官候補生らがダイナマイトの詰まったかばんを
背負い肉薄し当時 最良とも言われるT-34/85に
特攻をかけ なんとか開拓民避難の時間を稼いだ
 
日満パルプ工場事件
これは別名 敦化事件とも呼ばれています
占領したソ連軍のロシア人兵士らにより 
連日集団レイプが行われて その暴行に耐えかねた
28人の女性らが 青酸カリにより集団自決を行った
 
北千島,抑留,占守島,北方領土,ソ連軍,ロシア軍,第2次大戦 ,チハ,97式戦車 九八式臼砲,島嶼防衛,戦車戦
この他に57万人以上の日本人がシベリアに強制的に
抑留され 多くが餓死凍死したことは周知のことでしょう
 
また欧州では カチンの森虐殺事件もあります
ソ連により行われたポーランド人大量虐殺だが
全てドイツのせいにされていた などなど
これがロシア人のやり口です 
 
決して油断することがあってはいけません



★人気の過去記事のページ2


★人気の過去記事のページ

▲Page Top

> HOME


inserted by FC2 system